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3分で分かる
スポーク・ホールディングス

01

創業60年を超える
急成長企業

私達は1962年にJapanese Standardの整備技術をベースに会社を立ち上げました。創業から60年経った今、その技術は世界的にも高い評価を得ることができています。これまで、『20年で売上高60倍の成長企業』や『山形県下最大級の自動車販売・車検整備店を展開する躍進企業』として特集を受けてきました。
売上高100億も間もなくです。今後は東北に止まらず、日本全体、世界への比率を高めていきます。

02

海外への取り組み

新規事業の取り組みとして、海外での商品開発や新技術の輸入などの可能性を開拓し、グローバル市場での新規事業の創造を目指しています。
私たちが国内で培った最高峰の自動車整備技術を基盤とし、その技術を応用し、さらに海外の技術と融合することで新たな可能性を創造し、近い将来の海外への事業展開を視野に入れ、グローバルで求められる自動車企業を目指した取り組みを進めています。

①部品の輸出入
より高度な自動車パーツ開発を進めて世界基準の品質とさらなる最適価格の実現に向け、アジアを開発のフィールドとして展開。

②Web配信プログラムを展開
・海外からの優秀な自動車整備士の人材育成のため、日本最高水準の自社ノウハウを教育プログラム化し展開
・日本国内の外国人技能実習生からも数多く採用

03

スポークが取り組むSDGs

私たちは教育事業を通して、持続可能な開発目標という世界全体が目指している目標の達成に向けた国際協力に寄与できると確信しております。

4. 質の高い教育をみなに
8. 働きがいも経済成長も
9. 産業と技術革新の基盤をつくろう
10. 人や国の不平等をなくそう

04

日本初ランボルギーニの
車検を請け負う

ランボルギーニの思い出は忘れられません。あの車は平行輸入車で、個人の依頼人が日本のナンバーを取得するための車検でした。
その当時から日本には厳しい車検制度が整えられていましたが、そこまで厳しく整備されているのは日本だけで、この時の車はドイツで使われていたのですが、まず全ての書類がドイツ語で書かれており全く読み取れず、いつ頃誰により作られたのかがわからない状況でした。そういう状況ではやはり東京でナンバーを取得することができず、そのランボルギーニのナンバーをどうにか取得したいという依頼人が、困り果てている時に八幡自動車に来られて、私が車検することになったんです。

そこから車検に臨んだのですが、やはりとても手強い車でした。この車は中古車で、これから車検をするとなると、日本の最新の基準での車検に耐えうる車にしなければいけないのです。ましてはドイツ語の書類も読めずじまいで、医者の知り合いに掛け合っても読めず、結局ドイツ大使館に書類を送り、やっとの思いで解読できました。そうして整備を進めたのですが、やはり外国車の整備は難しく、例えばサイドブレーキの制動力がなかなかあがらず、日本の基準値を満たすのに一番苦労したことを覚えています。

そのような格闘を続け、ナンバー取得するのに国の検査場に数十回通い、どうにか山形で車検を通過しました。一台通過できると簡単で、そこから3台続けて車検を通しました。その頃は車を整備していると、近くの小学校から遠足でランボルギーニを見に来たりもしていました。
その学生に自分も得意げに紹介したりして。その当時で2000万円くらいしましたからね。
庄内でランボルギーニを整備して実走したのは私くらいでしょうね。

05

海を渡る、池田 等

[ 経歴 ]
1985年
St Thomas Academy高校入学(アメリカ)
1988年
上智大学比較文化学部入学
1993年
株式会社 日商岩井(現双日)入社/エネルギー化学プラント中東担当
1998年
株式会社 八幡自動車商会入社
2008年
株式会社船井総合研究所より最優秀新チャネル開発賞受賞
2020年
マサチューセッツ工科大学入学(MIT)

[ 講和歴 ]
山形県教育委員会主催 山形県立酒田東高等学校にて講演
山形県教育委員会主催 最上教育事務所にて講演
山形県庁主催 山形県職員育成センター様にて講演(3年連続)
株式会社船井総研総合研究所(東証1部上場)にて講演
学校法人 富沢学園主催 東北文教大学・東北文教大学短期大学にて講演
実践するドラッガー マネジメント塾にて講演
東北公益文化大学主催 FORUM21 ピーター・ドラッカーの経営思想を学ぶシンポジウムにて講演
東北地区知的障害者福祉協会主催 定時総会にて講演

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